おっちょこちょい

技術立国日本を支える一技術者として、技術のウンチクや技術者の待遇に関するグチを垂れ流しています。留学や海外出張時の経験を元に、日本と外国の歴史的・文化的な違いに関する経験と所感を述べます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

研究者・大学の評価

 ノーベル賞を同じ年に受賞した日本人が4人と発表され、非常に喜ばしいニュースです。その一方で、4人のうち2人はほとんどの研究生活をアメリカで行っており、受賞者だけでなくさまざまな人たちから、現在の日本の研究環境に対する苦言が言われています。理科離れ、オーバードクター問題、研究者に対するインセンティブ、などなど。。。私は、研究者・大学の評価システムが一つの問題と考えています。
 適切な評価システムがあれば、研究者が優れた研究を行うことが、そのままその研究者と大学の評価につながり、研究者と大学は優れた人材と大きな予算を獲得しやすくなります。逆に、評価システムが不合理だと、見栄えだけの良い中身のない研究が高い評価を受け、そこにリソースが集まり、大したことのない研究がさらにたくさん行われてしまいます。簡単に言うと、基礎研究がおろそかになる、と言えるでしょうか。
 評価の指標としてよく利用されるのは、科学技術に限らず、「Output/Input」がよく利用されます。特に日本の大学の研究者に対しては、Outputに論文に関する要素が含まれます。ところが、論文についての何が「Output」となるかというと、「数」です。「質」ではないのです。これでは、短期的に粗悪な論文の数を増やすことを増長させるだけで、良い研究など生まれません。もっとも、最近はScopusやISIでの引用数が「Output」に含まれるようになり、改善傾向にあるようですが。。。
 依然として問題なのは、「Output」に国際会議の開催や学会等で何かの委員をしたことが、一定の幅を利かせていることです。もちろん、そうしたことに大学の研究者が積極的に参加することは大切です。しかし、ここでも国際会議や学会の「質」が問われていません。これでは、「Output」を増やすため、小規模で中身のない国際会議をたくさん開催したり、無意味に学会を乱立させることを増長させてしまいます。そうすると、貴重な人的研究リソース(大学職員、学生、若手研究者)が国際会議や学会の運営に割かれてしまい、本業の教育・研究がおろそかになってしまいます。性能の低い売れない商品の広告宣伝に力を入れても、企業にとって成長につながらないのと同じです。
 「Input」にも問題があります。特に大学の評価について、「Input」に人件費があります。つまり、人件費を抑えつつ大きな「Output」を出せる大学が良い大学ということです。このような評価を用いた結果、賃金は減少し、教職員の採用は抑えられ、サービス残業が激増してしまいました。上述のように、本業である優れた研究をすること以外の、「Output」を増やすためだけの雑用が増えているにもかかわらず。そうすると、研究という知的労働をするために必要不可欠な「時間」が浪費されていきます。また、国立大の50代の中堅教授ですら、年収1000万を超えなかったりもします。これでは、良い研究をしたいと志す研究者が日本を離れたがり、研究で飯を食べていこうと志す若者がいなくなってゆくのも無理ありません。。。
 これらは数年前に私が工学博士を取得するために大学にいたときの所感です。現在と変化している部分もあるでしょうが、その後の大学教員の方の話を聞く限り、そんなに変化してもいませんし、また、そんなに間違ってもいないと思います。今日は久しぶりに長々とそんな真面目な話をしてみました。

 

スポンサーサイト

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。